虹をあつめろ!:自然の中で、わたしたち我々はヒトという、生態系の一部を成している生物だ。生態系は循環している。すなわち物質が循環している。ヒトも絵画も植物も土も魚類も、巨視的に見れば同じ「物質」なのだ。かつての西洋絵画には人や神を構図の中心に置き、自然をその周りに配置する人間優位的なものが多い。しかし今回の展示では、この人>自然といった概念を排し、ヒトや自然という「物質」がこの星の大きな「循環」の中で等価であることを表現したい。(熊谷悠真、トーマス×がじゅマル) 人間とは、一体何であるか。そのような問いに真っ向から立ち向かうこの作品は、熊谷悠真とトーマス×がじゅマルによって制作された。絵画とテラリウムで構成されたインスタレーションは、ひとつの小さな循環の様相を表している。絵画の「ヒト」は目を瞑り、あるいは光を受容しようと目を開ける。カテーテルを思わせる管は、鼻の孔を通じて自然と繋がり、水を循環させる。水面に沈められた剥き出しの麻布の絵画に対し、真四角のテラリウムは整然と佇み、そこに絵画と自然の別はない。絵画、テラリウム、ヒトや植物といった要素は無秩序に、しかし互いに依存する存在として作品を構成している。 「自然と人間」というテーマを追求しようと始まったこの制作は、多くの解釈を経て「自然の人間」と呼べるようなひとつの世界を作り上げた。ここでは、熊谷悠真、トーマス×がじゅマル両者の場合を通じて、作品の根底にある自然観について触れたい。 2022.02.19 13:32
企画展「虹をあつめろ!」参加アーティスト&展示会期が決定しました企画展「虹をあつめろ!」の展示会期が 2022年2月21日(月)~24日(木) ※23日(水)を除く に決定しました!異なる専門分野を持つアーティストがコラボレーションする展示企画。計4名のアーティストの参加が決定し、以下の2チームが合作品を展示することになりました。スギタヤスラ & 武村優希トーマス×がじゅマル & 熊谷悠真参加アーティストスギタヤスラ #平面構成 #立体構成 #ジオメトリック構成学を学んでいます。新しく、誰でもでき、おもしろい芸術表現を探求しながら制作を行っています。今回、異なる分野の方とコラボレーションを行うため、新しい視点に驚かされています。互いの考え方の面白さを表現したいと思っています。2022.02.01 06:15
白をつぶせ! ~企画展開催まで~ 強烈なメッセージとともに口火を切られた、企画展「白をつぶせ!」。ホワイトキューブ(※)を無垢なキャンバスに喩えたこの展示は、染まる色によってその姿を刻一刻と変える。今回は企画展チームのメンバー4名に取材し、企画展開催までの道のりを追った。—— 展示空間を真っ白なキャンバスに喩え、展示作品が増えていくことによって展示空間=キャンバスが塗りつぶされてゆく。この展示の案はどのようにして生まれたのでしょうか。アスラスライム メンバーと顔合わせを行った後、2回目の会議でそれぞれ展示の案を出し合いました。このメンバーなら大きなことができるという期待もあり、展示の案を出し合った会議は特に盛り上がりましたね。示し合わせてもいないのに、みんなパワーポイントでプレゼンの準備までして。りゅう 鑑賞者をアーティストと捉え、作品を描き足していく参加型の展示の案や、僕たち自身の自己紹介をしようという展示の案。様々なアイデアが出ましたね。最終的にはタカハシさんの案に決まりました。—— 展示に対するアプローチにも個性が出ますね。タカハシさんはどういった意図でこのような案を?タカハシ 企画展を開催するにあたって、何か可塑性のある展示をやりたいと考えたのが始まりです。最初は「みんなで作る展示空間」という仮題をつけていました。他の展示と差別化する上でも、会期中に作品が増える展示というのはあまりないですよね。—— 展示空間全体がひとつの大きな作品のようでもあり、生き物のようでもある。不思議な展示ですね。りゅう 展示のタイトルは模造紙を広げて、皆で書き出して決めました。アスラスライムさんが特に生き生きとしていましたね。アスラスライム とにかく楽しかったです。キャンバス、塗る……身近な言葉から発想して、色の名前を使用したタイトルにしました。—— 「白をつぶせ!」というタイトルは、アーティストに対する檄(げき)のようにも感じられますね。強いメッセージ性がある。2021.09.11 03:34
絵画の面白いはなし 物心が付いたときから絵を描いている。なぜ絵を描いているのか、絵画とはいったい何なのか。かつて、床にケチャップで絵を描いていた少女は今、「絵画」に思いを馳せる。はじめての絵画おふう 私、大学に入って領域(※学問分野の専攻のこと)に迷いだしたとき、自分がいかに絵画にこだわってきたかを自覚したんだ。芸術には、立体造形やデザインなどたくさんの表現手法がある。その中でなんで絵画にこだわるのか、絵画って結局なんだろう。例えば、こう考えたことはない?「初めて絵を描いたヒトがいたとして、なぜ絵を描いたんだろう」って。倫 何かを伝える手段とか、後世に残すためとか……。おふう 他者に何かを伝える手段っていうのは、ひとつ考えられるね。りゅう 象形文字とかはその代表的なものだよね。何かを伝えるための絵が文字になった。後世に残すためか……。僕は中学生のとき、「将来、僕の絵が発掘されたらどうしよう」って考えていたことがあるな。おふう 油絵は数百年もつって言われるからね。タカハシ 考えたことないかも。(笑)倫 でも、それよりも絵を描く動機としては小学生が落書きするときみたいな、根源的な欲求の方が大きそうだね。発達段階でいうと、小さい子が手を動かしたがるのは欲求に基づいているということとか。土器があんな派手なのも、なにかしら「表現したい」っていう欲求が人間にはあるのかもしれない。おふう なるほど、表現の動機はもっと根源的なところにあるのかもしれないね。みんなは初めて絵を描いた、描くことを自覚した記憶ってある?りゅう 幼稚園のときかな。手を描いてたら「あれ、なんかたくさんしわがみえるな」って思って。見えるしわを全部描いたら、おじいさんみたいにしわしわな手になってしまったよね。おふう しわしわな幼稚園児の手、面白いね。インタビュー(絵を描いて生きること, 2021)でも書いた通り、りゅうは絵画において「見る」ことに重きを置いているよね。倫 それで言うと僕は「見えているものと描いたものが違う」ってことに少し苦しさを感じていたな。5、6歳のときに描いた自画像とか……。おふう その年で既に写実性に目覚めていたんだね。できあがってる。(笑)倫 その反面、見えたものをそのままに描くことができたときの喜びはひとしおだね。おふう タカハシはどうだろう?タカハシ 私はずっと部屋にこもって絵ばかり描いていたな。その頃から小さいもの、かわいいものが好きで。すごくファンタジーな絵を描いたりとか……。おふう そこから、今のタカハシに繋がる個性もみられるね。幼少期の体験って、純粋に個性を映し出す鏡のようなものなのかもしれない。侮れないね。絵画のふくらみおふう ここにいるみんなが絵画を学んでいるね。みんなが絵画にこだわる理由ってなんだろう?りゅう 空気、かな。例えば、立体作品はその作品の周囲に空間を孕んでる。でもそれは“箱庭”みたいな空気で、世界の一部でしかない。絵画は、その中にどこまでも続く奥行きがある気がする。おふう そういえば、この間授業で面白い話を聞いたな。「絵画はイリュージョン(※二次元平面に描かれた絵画が、三次元的な奥行を持った空間として観者に意識されること)と切り離せない」。この話に基づくと、絵画はその中に何かしらの世界を表現しているものってことになるね。絵画は虚構を具現化する手段のひとつと解釈できる。タカハシ イリュージョン……。りゅう ないけどある。おふう それだ。絵画の中には、「絵画世界」と言われるような空間があるよね。そこでは何でも実現できる。現実に存在しないものさえも。一方で、絵画は支持体に縛られるという制約がある。タカハシは「絵画のしがらみを抜け出したい」って言ってたね。それで出来上がったのが、あの立方体の作品。(てのひらの芸術, 2021)タカハシ 支持体とか、画材とか、平面作品に何かしらの苦しさを感じていたのかもしれない。おふう 支持体は絵画の唯一の縛りであるとともに、絵画を絵画たらしめているものなのかもしれないね。倫 それなら僕は逆だ。絵画には数知れない可能性がある、だから興味が尽きない。数百年の歴史が示すように、画材一つとっても学ぶことが沢山ある。おふう ミクロな視点で見ると、そうだね。絵画世界においても、その構成物においても可能性は無限大だ。りゅう 何よりも絵画はその手軽さが魅力だね。紙と鉛筆さえあれば表現できる。倫 もっとも直感的な表現手法だね。おふう 絵画のふくらみとでもいうのかな。私たちは紙と鉛筆ひとつで世界を創り出すことも出来るし、絵画の長い歴史と対話することもできる。その懐の深さが絵画の魅力なのかもしれないね。2021.06.07 18:01
絵を描いて生きること生きた絵を描くことりゅう 兄が突然、天山(佐賀県)に登りに行こうと言って。これは天山の頂上からみえた雨山をスケッチしたものです。 —— とても直感的で、清々しいスケッチですね。 りゅう 頂上に登って、360°ぐるっと見渡してから、この構図と決めました。近景はペンで描いて、遠景になるにつれて鉛筆、絵の具の濃淡のコントラストとみせ方にはかなり凝っているんですよ。そうはいっても、心が動くのが先で、「きれい」「かっこいい」「なにこれ」という新鮮な気持ちをそのまま脳から手に、目から絵にと表現したい。本当は、一秒たりとも離れずずっと絵を描いていたいとも思います。「右手が疼く」をこじらせたってわけです。 —— りゅうさんが心を動かされるとき、それはどんなときですか? りゅう 自分が面白いなと思うものに心を動かされます。コンセントやスイッチ、目に入る全てのもの、自分の見ている世界そのもの。特に“かたち”には拘っていて、写真や記憶ではなく、自分がリアルに手で触れた、手に触れたかたちを表現したい。そのために、構図やかたちにはとても気を遣います。 —— りゅうさんの絵画や素描は非常に精巧なかたちで描かれていますね。 りゅう 絵画も素描も、納得のいくかたちになるまで何度もエスキースを重ねたり、描き直したりします。これはいつでも正しい状態でいたい、という気持ちの表れでもありますが、何よりモチーフを生かすために技術が必要だからです。モチーフが生きている絵には構図やかたち以前の魅力がある。 —— 絵画の中でものは生きている、ということですね。2021.04.08 00:20
てのひらの芸術 てのひらに、ころんと一粒。その一粒ひとつぶが豊かな表情を持ち、私たちの生活を鮮やかにする。タカハシ ナツミさんの、一辺三センチメートルの小さな立方体の作品は、人に届けるべくして制作された作品だ。—— 一度、「部屋に飾るとしたら、どのくらいの大きさの作品がいいだろうか」と話したことがありましたね。私は、「F0号(18×14㎝)ぐらいだろうか」と答えたけれど、それがまさかこのように形になるとは思わなかったです。タカハシ この立方体の木材を手に取った時の大きさ、軽さでこれだと決めました。特に、この身近な軽さが気に入っています。手のひらで転がしてもいいし、おてだまなんかもできちゃう。それに、そのときちょうど、「絵画のしがらみから抜け出したい」という気持ちがあったのも影響が大きいと思います。「平面をやめてやる」とさえ思っていたかも。立方体は六つ面があるので、その六面それぞれで違う表情をみせることができる。これはとても面白いことなんじゃないかと思って。—— まさに、“見る”ためだけではなく、“手に取る”ために作られた作品ですね。販売もしているのですか。タカハシ はい。もう既に何人かの手には渡っています。貰い手に色を選んでもらったり、私が目をつむってランダムに渡しています。—— ランダム!自分では選ばないような表情の作品にも出会えそうですね。タカハシ ランダムで渡すのには、「偶然の出会いを大切にしてほしい」という気持ちもあります。ランダムで渡すことで、「あれ、この色意外と好きかも」とか「この色の組み合わせもいいかも」とか、思いもよらない出会いがたくさんあると思うんです。何より、作品に愛着を持ってもらえたら嬉しい。—— タカハシさんが愛着を持つ“もの”はどんなものですか?タカハシ 人から貰ったものは、とりわけ愛着を持って使っていると思います。他人からみた私のイメージというか、この人には私にはこう見えているんだという新鮮な驚きがあって。この作品を友人へのプレゼントとして選んでくださった方もいて、選んだ作品の表す色がきっと受け取る人の人となりを表しているんだろうなって思う場面もありました。—— 人から人へ。受け取るだけではなく、繋がりを作り出していくような作品ですね。タカハシ そうですね。この作品は私からの贈り物でもあるので、包装にはとても気を遣っています。お菓子の包み紙みたいに。気持ちはバレンタインの女の子です。—— このように人の手へと渡っていくと、プロダクトとしての側面が強くなりそうですが、この作品は芸術を芸術たらしめている何かがあるように感じます。なぜでしょうか。タカハシ 私は、この作品を芸術たらしめているものの一つは“味”にあるんじゃないかと思います。私はこの作品を貰い手に「おいしい!」と思ってもらいたい。私、実は母が美容師なのですが、美容室にいつも「キュービィロップ」っていうアメが置いてあったんです。それを今ふと思い出しました。小さい頃好きだった、キラキラ小さいもののイメージが強いのかもしれません。—— そういうと、タカハシさんの作品はとてもおいしそうですね。一つひとつ味も違う。2021.04.08 00:00