虹をあつめろ!:日々の常

カサカサ カサ カサ カサ カサ   カサ

おや 客人が壁をつたう

白い 白い まっさらな壁に

チリチリ チリ チリ  チリ  チリ   チリ   

頭をめぐらせ ひそやかに語らう

人と ヒトの 無関心の中に

   

…なにか気になる、見覚えがある

エイヤとピン立て 図鑑を広げ

探す 探すは 彼らの名

「オンガクヲキク」  「ハヲミガク」

「ゴハンヲヨソウ」  「イイネヲオス」

これは異なこと妙なこと

彼らの主語が「私」とは 「私」の外に日々を見るとは

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「日常」…「日の常」…「毎日の常事」

あなたにとって「日常」とはどのようなものですか。

あたりまえのものでしょうか。

かけがえのないものでしょうか。

ふと 気に留めてもすぐに消え去ってしまった 陽炎のようなものでしょうか。

つと 振り返ってもすでに忘れ去ってしまった 白い微かな亡霊でしょうか。

忘れても 見えなくても 見ていなくても

彼らはあなた自身

あなたが生きた時間、 あなたが生きようとする日々の常ではありませんか。

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リリリン カチャン ピン ピコン ペラ シュッ コロロン トントントン…


日々の生活は名前のないルーティンの積み重ねで成り立っている。散歩中に通り過ぎて行った一匹の虫を気にも留めないように、私たちは当たり前の習慣に目を向けることはないだろう。しかし、それらに形を与え展示することで、とりとめのない毎日を思い出す。(スギタヤスラ、武村優希)


―― 今回の制作を通して、感想はいかがですか?

スギタヤスラ 日常は、とるに足らないもの、特に愛でるものではないと思われがちです。それらをあえて形にすることで、当たり前のものが注目され、展示されていることへの不思議さ・違和感を感じていただければと思います。

武村優希 日常という大枠の中からいくつかの行動を「抽出」し、作品として「出力」する今回の制作は、昆虫を標本にする過程に共通点があると思います。作品を見ていて、“普段こんなことをしているんだ”と、改めて面白く感じました。


―― なぜ、人間の日常を ともすれば不快な虫の姿に仮託したのでしょうか?

スギタヤスラ 虫の姿に固執したわけではないのです。ただ、日常の行動には様々なものが含まれます。淡々と無為な時間を過ごしたりSNSに振り回されたりする現代人の習慣は、特に良いものとは言えません。そのような日常の負の側面が無意識のうちに虫の姿を取らせたのかもしれません。

武村優希 虫に関して、特別なイメージを持ってはいませんでした。「標本」と言えばすぐに思いつくのが虫の標本だったという感じで、このような形にすることには抵抗がなかったのです。それより虫の構造的な面白さの方に注目して制作に当たっていました。


―― お二人にとって、日常とはどのようなものですか?

スギタヤスラ 実家にいた高校生の頃までは、日常とはすなわちルーティンでした。「〇〇の時間」が決まっていて、その合間に自由時間がある、というような。大学に入り一人暮らしをするようになった今、全ての時間を自分で決めることができます。むしろ、決めなければならない。一人暮らしの日常は、その瞬間瞬間によって意外と大変なもののようです。

武村優希 日常とは、現在の生活のことだと思います。過去の日常は現在の非日常であり、未来の日常も現在のものとは異なるでしょう。日常を “当たり前” と思えるのは、今だからなのだと思います。

                              

                                  文責 おせつ


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こー様, kinakoko様