論考:人新世の「静かな芸術」 第1回

第1回 イントロダクション:人新世における人間の探究に向けて

内容紹介

 私達は、人類の活動が、地球の在り方を変えるほどの強大な影響力を持つようになった時代、「人新世」に生きている。急速に発達してきた人間世界は、自然世界に取り囲まれているという現実、さらには両者が互いに関連し合っていることをいつしか忘れてしまった。未曽有の自然災害が絶えない現代こそ、自然世界との連関が意識されるようになった時代でもある。

 強大な自然災害の前に私達が体験するのは、世界の「終わらなさ」である。どれだけ人間世界が崩壊しても、私達は生活し存在し続けなくてはならない。本稿で取り上げるのは、主体無くして世界が永続する時代に対して、どのように向き合うべきかという問題である。

 本稿では、東日本大震災(以下、震災と略記)への応答を示した、園子温監督の映画『ひそひそ星』、アーティスト集団Chim↑Pomによる映像作品《気合100連発》の2作から、人間世界が壊滅してもなお「終わらない」世界における、人間という微々たる存在の在り方について、全5回に渡って探究する。


1-1、変動する時代「人新世」

 大地震、津波、台風、集中豪雨、温暖化、パンデミック…自然災害が後を絶たない現代。私達は今、未曽有の事態に晒されているのかもしれない。

 オゾン層破壊の研究でノーベル賞を受賞した科学者パウル・クルッツェン(Paul Crutzen, 1933-2021)が2000年に提唱した「人新世(Anthropocene)」は、まさに私達と自然との関係が変容しつつあることを指し示している。人新世とは、氷河期が終わった約1万年前から今日に続く温暖な時代、完新世に続く新しい地質区分である。産業革命以降、人間は二酸化炭素や放射能の排出量を増やし続け、高速道路やダムなど生活領域を広げる過程で河川や山の形態を変化させ、さらに乱獲によって生態系までも変えていった。 人新世とは、こうした人類の活動が、地球の在り方を変えるほどの強大な影響力を持つようになった時代を意味する。人新世という地質区分は、科学的には完全に認められていないが、人間と地球の関係の根本を捉え直すものとして、現代の思想潮流において重要な指標と成りつつある。

 篠原は、人新世の議論において掲げられている問題の一つとして、「人間が人間だけで自己完結的に生きるのではなく、地球において生息している様々な人間ならざるものとの連関のなかで生きているという現実をどう考えるのか」(*1)というものがあると指摘する。人間がいようといまいと 、最初から人間ならざる自然世界は存在していた。急速に発達してきた人間世界は、自然世界に取り囲まれているという現実、さらには両者が互いに関連し合っていることをいつしか忘れてしまったのである。


1-2、終わらない世界で

 自然世界との連関を考える上で重要な契機となるのが、自然災害である。これまで自然を支配しようとしてきた(つもりだった)人間が、自然世界の連関に生きていることを強烈に認識するのが、災害という事態であった。

 強大な災害の後に私達は、世界の「終わらなさ」、強制的な永続という現実を目の当たりにする。どれだけ津波で街が流されたとしても、未知のウイルスが蔓延して生産活動が停止しても、当たり前に世界は続いていき、私達も生活し存在し続けなくてはならない。それは、存在者の主体の有無に係わらず、私達は存在し続けて“しまう”ことである。自然世界が時にもたらす世界の「終わらなさ」とは、個々の存在が存在者の主体無くして成立して“しまう”暴力性なのだ。

 「人間が…地球において生息している様々な人間ならざるものとの連関のなかで生きているという現実をどう考えるのか」。先程の問題はそのまま、自然世界が猛威を振って人間世界が崩壊してもなお終わらない世界に、私達はどのように向き合うべきかという問題でもある。今回私が考えたいのは、環境問題の解決策ではない。主体無くして世界が永続する時代、人新世における“人間の在り方”である。その在り方は、「終わらない」世界を私達の主体の内に引き入れる所有(完全な把握)によってではなく、それをそのまま相容れることのない他者として受け止めることによって成立するものである。

 本稿は、篠原雅武『人新世の哲学-思弁的実在論以後の「人間の条件」』(人文書院、2019年)における、人間と自然の連関性についての議論を基に、東日本大震災を受けて制作された芸術作品を通して、人新世における人間の在り方を考察することを目的としている。人間世界が荒廃した跡地となった時、それでもなお私達に存在することを迫る世界の中で、芸術はどのように人間を表現し、どのような人間の在り方を示すのだろうか。本稿を通じて、人新世における芸術とはどのような可能性をもつのかを考えることができたらと私は思う。



*1――篠原雅武『人新世の哲学-思弁的実在論以後の「人間の条件」』人文書院、2018年、16頁。


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高橋茉佑

筑波大学人文・文化学群比較文化学類在籍。先端文化学専攻。近現代美術や身体論など研究しています。無類のホラー映画好き。