論考:人新世の「静かな芸術」 第4回
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第4回 Chim↑Pom《気合100連発》と「静寂」
内容紹介
私達は、人類の活動が、地球の在り方を変えるほどの強大な影響力を持つようになった時代、「人新世」に生きている。急速に発達してきた人間世界は、自然世界に取り囲まれているという現実、さらには両者が互いに関連し合っていることをいつしか忘れてしまった。未曽有の自然災害が絶えない現代こそ、自然世界との連関が意識されるようになった時代でもある。
強大な自然災害の前に私達が体験するのは、世界の「終わらなさ」である。どれだけ人間世界が崩壊しても、私達は生活し存在し続けなくてはならない。本稿で取り上げるのは、主体無くして世界が永続する時代に対して、どのように向き合うべきかという問題である。
本稿では、東日本大震災(以下、震災と略記)への応答を示した、園子温監督の映画『ひそひそ星』、アーティスト集団Chim↑Pomによる映像作品《気合100連発》の2作から、人間世界が壊滅してもなお「終わらない」世界における、人間という微々たる存在の在り方について、全5回に渡って探究する。
4-1、作品紹介
Chim↑Pom(チンポム)は、現代社会に対して直接的な介入を行ったプロジェクトや作品を通じて、社会性の強いメッセージを野心的に発信する6人組アーティスト集団である。
Chim↑Pomは、震災直後、復興や原爆問題のメッセージを発信する数々のプロジェクトを立ち上げていた。ここで取り上げる《気合100連発》は、それらの取り組みの1つである。メンバーは、2011年5月に、津波と放射能汚染によって壊滅していた福島県相馬市の街で約2か月間を過ごしていた若者たちと知り合う。福島第一原発に近かったため、ボランティア不足が続いていた中でも、彼らは現地に留まり復興活動を行っていた。本作は、瓦礫に囲まれた街中で彼らと共に円陣を組み、「がんばるぞー!」や「風評被害なんてぶちかますぞ!」といった、被災地に生きる自身を鼓舞する言葉を順番に叫び合う様子を収めた10分30秒間の映像作品である。100連発の気合付けの様子は、すべてアドリブ、一発撮りで収録されているという(*13)。
本作の画面左側には瓦礫が痛々しく残る風景、右側には10人 の男女(地元の若者6人、メンバー4人)が大声で掛け声を行う様子が2分割にされている。またある場面では、全画面に瓦礫が散乱する街の上から見下ろすように、円陣を組んだ若者たちの様子が映される。 いずれの場面においても、自然世界が人間世界から撤退した混乱後、辛うじて人間が生存できる「静寂」に取り囲まれた世界と、「静寂」の中で叫び声をあげる人間のコントラストを見ることができる(場面写真は以下のサイトを参照のこと。Chim↑Pom「REAL TIMES《気合100連発》」、『Chim↑Pom』、2022年2月7日確認、http://www.chimpom.jp/project/real-times.html )。
4-2、ゲーム的枠組みに立たされる人間
本作が制作された背景として着目すべきは、震災直後における日本社会の悲観的な状況である。巨大地震の後に街は一瞬にして津波に呑み込まれた。さらに悲惨だったのが福島第一原子力発電所事故である。発電所の電源は喪失した後に、1から4号機の全てが爆発を起こし、大量の放射物質が広範囲に拡散した。椹木は、震災直後における日本の芸術状況について以下のように述べている。
国難としか言いようのないこうした震災の発生直後、国民の大半は言葉を失った。むろん、芸術家も例外ではない。文学と音楽と美術とジャンルを問わず、「いかに自分になにできるのか」「いままでの自分の創作はなんだったのか」「このような事態を前に芸術はまったく無力だ」といった声が至るところから聞こえてきた。やがて多くの者は、まるで「震災」などなかったかのように、言葉少なに以前の活動へと戻っていった。(*14)
これまで築き上げてきた街が一瞬にして崩れ去った中で、芸術家を含む多くの人々は、最悪の状態を 前に表現する言葉を失った。こうした表象の限界に対して、人々は震災の悲惨な状況をなかったように振る舞うことしかなかった。その一方で、ある程度混乱が収まった後、現地に赴いてワークショップや展示会を開く者もいた。椹木が「ある日突然家族を失った子どもたちに、どんなワークショップが可能というのだろう。彼らの心を、アートなら癒せるとでもいうのだろうか」(*15)と述べるように、芸術が震災に応答することの難しさが指摘されている。
人間が過小な存在である「恐怖」を目の当たりにした人間は、強烈な無気力感に陥ってしまう。そして、かつての「静寂」も、それに伴う「恐怖」もなかったことにされてしまう。では本作においてChim↑Pomは、どのような活動から思考硬直状態を脱しようとしているのだろうか。
松井はChim↑Pomの芸術活動を大きく2つのカテゴリー(方法)に分類している。一つは「社会の暗部や周縁に置かれる事象や存在との関わりから、文明社会の矛盾を暴き出す」 (*16)活動、二つは「戦争や社会的不均衡に原因する共同体の危機や欠損を、現地の人々との交流を通して補う」(*17)活動である。この分類において本作は、「共同体の危機」と「現地の人々との交流」という要素から、後者のカテゴリーに含まれる。後者のカテゴリーについて、松井は以下のように述べる。
(筆者注;Chim↑Pomの活動は)…近代的合理化が偏ったかたちでしか存在しない、あるいは破綻している「戦場」や「災害現場」といった身体や人間的尊厳への直接的脅威をはらんだ場所における、人間的コミュニケーションを促し、その記録を通して離れた土地の観客に、人類への災厄をパーソナルな事実として認識させる力を持っている。そのいずれもが、(扱う物や現地の)リサーチ、(介入的)アクション、(相互パフォーマンスのための)虚構的枠組みの構築という、基本手段によって支えられている。(*18)
後者のカテゴリーでは、主に人間の心身が脅威に晒された場所を舞台としている。「災害現場」に限定して言えば、①被災地の「リサーチ」、②現地に暮らす人々への「アクション」、③パフォーマンスを行うための「虚構的枠組みの構築」というアプローチを通じて、「人間的コミュニケーション」を生み出すものである。それは、最終的に暗黙された社会問題や悲惨な状況を、鑑賞者の目前に曝け出すことに帰着する。
『気合100連発』について言えば、①津波被害と放射能汚染によって孤立した被災地、福島県相馬市への立ち入り 、②現地で復旧活動を行う若者との交流、③Chim↑Pomによる一人が10回叫ぶというゲーム(虚構)の構築が行われている。そしてChim↑Pomが構築したゲームの中で、幅広い豊かな「人間的コミュニケーション」が生み出される。
松井は、復興の誓い以外の叫びにも注目する。「車欲しい!」「彼女欲しい!」といった個人的な欲望からは、欲求と強く結びついた生へのエネルギーを見出している。また「放射能最高!」「ふざけんな!」といったアイロニカルなアドリブ表現からは、Chim↑Pomが構築したゲームおける、人間の安定した生活領域が壊滅し放射能によって心身が脅かされる絶望的な状況の中で、その絶望をいとも簡単に超えてしまう“力強さ”を指摘している。(*19)
ここで注目すべきは、彼らは“叫んでいる”のではなく、Chim↑Pomがつくった虚構(ゲーム)の中で、叫ぶように“させられている”ことにあるだろう。“叫ばされる”ことによって彼らは、硬直してしまった内に眠る生き生きとした言葉や生のエネルギーを再び取り戻すことに成功する。
4-3、静けさとの対立
ではなぜ彼らは叫ばされるのだろうか。ここでは“叫ぶ”という点に注目しよう。
前述したように、彼らが立つのは自然世界が人間世界から撤退した混乱後とりあえず人間が生存できる「静寂」が取り巻く世界である。瓦礫の上での直情的な“叫び”とは、「静寂」がもたらす「恐怖」中で、言葉を失った人々が再び言葉を取り戻す行為である。人間の生活領域が壊滅してもなお「終わらない」世界において、彼らは言葉を取り戻すことで、肉体をもって地面に立っているという存在の確かさを獲得する。
しかし彼らは、叫びによって「静寂」を消し去ろうとするのではない。「静寂」とは、自然世界が主体を取り戻しつつあることを示すものであり、壊滅した人間世界ではもはや拭えないものである。それでも彼らは「静寂」の中で叫び続け、「静寂」の上で存在の確かさを得る。
《気合100連発》は、人間世界と自然世界の2つ世界の共存空間である「静寂」の空間へと立ち、Chim↑Pomによって仕掛けられたゲーム(虚構)から言葉を取り戻すことで、「静寂」と対立する構図を取りながら「恐怖」を乗り越える。本作には、「静寂」の上で過小な存在でありながら も確かに叫ぶ肉体と言葉をもつという、人間の在り方が示されるのだ。
*13――作品説明に当たって、Chim↑Pom『Super Rat―Chim↑Pom』パルコ、2012年、9頁及び、「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」、『森美術館』、2022年2月7日確認、
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/chimpom/04/index.html を参考とした。
*14――椹木野衣「核に貼り札―チン↑ポムの「ム」をめぐって」Chim↑Pom『Super Rat―Chim↑Pom』パルコ、2012年、69-70頁。
*15――同書、70頁。
*16――松井みどり「触られる世界の境界の移動―Chim↑Pomの活動に見るシチュエーショニスト的精神と方法の継承」Chim↑Pom『Super Rat―Chim↑Pom』パルコ、2012年、115頁。
*17――同前書、115頁。
*18――同前書、115頁。
*19――同前書、117頁。
【視聴覚資料】
『気合100連発』(ビデオ)、Chim↑Pom、日本、2011年、10分30秒
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